師匠シリーズ
エレベーター

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191 エレベーター  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/02/11(月) 23:40:48 ID:sx6grxVr0
大学1回生の秋だった。
午後の気だるい講義が終わって、ざわつく音のなかノートを鞄に収めていると、同級生
である友人が声を掛けてきた。
「なあ、お前って、なんか怪談とか得意だったよな」
いきなりだったので驚いたが、条件反射的に頷いてしまった。
「いや違う、そうじゃなくて、怪談話をするのが得意とかじゃなくて、あ~、なんつっ
 たらいいかな」
友人は冗談じみた笑いを浮かべようとして失敗したような、強張った表情をしていた。
「……怖いのとか、平気なんだろ?」
ようやくなにが言いたいのか、わかった。彼の周囲で何か変なことがあったらしい。だが
頷かなかった。平気なわけはない。
「外で聞く」
まだ人の残った教室では、あまりしたくない話だ。俺はその頃はまだ、できるだけ普通の
学生であろうとしていた。
夕暮れの駐輪場で、自転車にもたれかかるようにして経緯を聞く。
彼は郊外のマンションに一人で住んでいるのだと言った。エレベーター完備の10階建て
で見通しの良い立地場所なのだとか。親が弁護士で、仕送りには不自由していないのだそ
うだ。口ぶりから自慢げな雰囲気を嗅ぎ取った俺が、「帰っていい?」と言うと、よう
やくそのマンションで気味の悪いことが起こっているという本題に入った。
「エレベーターで1階に降りようとしたらさ、箱の現在地の表示ランプが上の方の階か
 ら下がってくるわけよ。それで自分トコの階まで来たら開くと思うじゃない? それが、
 なんでかそのまま通過するんだよ。ちゃんと下向き矢印のボタン押してるのに」

192 エレベーター  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/02/11(月) 23:41:59 ID:sx6grxVr0
それが頻繁に起こったので、彼は管理人に電話したのだそうだ。故障しているのではな
いかと。しかし、数日後「業者に見てもらったが正常に作動中」だとの返答。他の住民
に「最近、エレベーターの調子悪くないですか」と聞いてもみたが、「さあ」と返され
ただけだった。
「箱の現在地が下の方の階にある時だって同じことが起こるんだ。ボタン押して待って
 ても、開かずに通り過ぎるんだよ。それでランプ見てると上の方の階で停止してるだ
 ろ。上の階の人が先にボタン押して箱を呼んでても、途中の階で後からボタン押した
 らちゃんと止まるよなあ。デパートとかだと。まあでも設定が違うのかもと思ってさ
 あ、イライラしながら待ってたらやっとランプが降りてきて、自分トコの階で止まる
 わけよ。それでドアがスーッと開いたら……」
彼はそこで言葉を切って、微かに震える声で言った。
「誰もいないわけよ」
ちょっとゾクッとした。
確かになにか変だ。
自分の階をスルーして上の階で止まったはなんなのだ。誰かが乗ろうとしてエレベーター
を呼んだのではないのか。
「そんなことが続いてさあ。もうなんか、気味悪くて」
俺の部屋、4階なんだ……
それがさも因縁めいているかのように、彼は言う。
しかも、5号室。てことは、ひぃふぅみぃよぉの、4つ目の部屋なんだ……
「最悪だよ」
そう言って溜息をついた。
彼はそういう数字的なものを気にするタイプらしい。サッカー部に属している彼に快活な
イメージを持っていた俺は、そのうなだれる姿を意外に思った。

193 エレベーター  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/02/11(月) 23:42:57 ID:sx6grxVr0
俺は腕時計を見た。見たところで、今日はもうなんの予定もないことに気づく。
「今からそこに行ってもいいか?」
友人も俺に習ってか、儀式的に腕時計を見た後、「いいよ」と言った。
俺が行ったところで問題が解決するとは思えないが、少なくともなにか怖い目には遭え
るかも知れない。友人がこの話を俺にしたのも案外解決という目的ではなく、漠然とした
“共有”のためかも知れないじゃないか。
好奇心猫を殺す。
思わずそんな呟きが自嘲気味にこぼれ出た。昨日の夜、漫画を読んでいてそんな言葉が
出て来たのがまだ頭にこびりついていたらしい。俺にぴったりの格言だと思う。けれど
その頃の俺は、手に届く距離にあるオカルトじみた話を無視できる心理状態になかった
のは確かだ。
「克己心じゃなかったっけ」
という友人の間の抜けた声が聞こえた。

夕暮れが深まる中を、自転車で駆けた。
密集した住宅街から少し離れた郊外に友人のマンションはあった。上空から見たとすれ
ばそれは大きなLの字のような構造をしているようだ。駐車場に自転車を止め、夕日に
巨大な影を伸ばすその威容を見上げる。とうてい学生向けの物件には見えない。実際、
敷地内には小さなブランコや昆虫の形をした遊具が散見できた。ここには小さな子ども
のいる多くの家族が住んでいるのだろう。
「いいとこ住んでんなあ」と漏らしながら、友人の後をついて玄関へ向かった。
1階のフロアに入ると、すぐ正面にエレベーターが現れる。L字のちょうど折れている
あたりだ。右手側と、振り返る背後に各部屋のドアが並んでいる。
「階段もあるけど、あっちの端なんだ」と友人は背後の、L字の短い方の端を指差した。

194 エレベーター  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/02/11(月) 23:44:56 ID:sx6grxVr0
「ちょっと不便な感じ」
そう言いながら、友人は思ったよりあっさりとエレベーターの上向き矢印ボタンを押した。
現在の階数表示では5階のランプが点灯している。あまり待つことなくすぐにランプが
降りてきて、1階のそれが一瞬点灯するかしないかのうちに扉が開いた。
「なんか、前振りあった分、緊張するな」そんなことを言って、友人は中に乗り込んだ。
俺も後に続く。
「4」のボタンを押してから、「閉」のボタンを押す。
扉が閉まる。
閉まる瞬間、正面の灰色の壁に顔のような模様が見えた気がしてドキッとする。音も無
くエレベーターは上昇する。息が、詰まる。
「今も、目に見えない誰かが乗ってたりすんのかな」
友人は軽い口調でそう言う。かすかに、語尾が震えている。
何ごとも無く、エレベーターの箱は4階についた。扉が開き、俺たちは外に出る。
友人は軽く肩を竦めて、両方の手の平を返した。
「昇る時は、大丈夫なんだよ」
夕焼けが立ち並ぶ部屋のドアをフロアの端まで赤く染めている。友人はその一つを指さ
して「俺んちだけど、よってくか」と言う。微かな起動音とともに背後のエレベーター
が下に呼ばれ、ランプが一つ、二つ、と降りていく。二人とも、なんとはなしにそちら
から目を逸らす。
外から子どものはしゃぐ声と走り回る足音が響いて来た。脇の高さの塀から顔を出して
下を覗いてみると、数人の小学生くらいの子どもがおもちゃの剣らしいものを振り回し
ながら敷地内の舗装レンガの道を行ったり来たりしている。しばらくそれを眺めたあと
で、「情報収集してみよう」と言って俺は視線を戻し、人差し指を下に向けた。
「オッケー。でも先に荷物置いてくる」
196 エレベーター  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/02/11(月) 23:47:21 ID:sx6grxVr0
友人はドアの鍵を開けると二人分のバッグを玄関先に放り込んで戻ってきた。そしてエ
レベーターの前に再び立つ。箱の現在位置は8階に変わっている。
今度はなかなか矢印ボタンを押さない。少し緊張しているようだ。
横目で言う。「その、変なことが起こる確率はどのくらい?」
「あー、ご……5回に一回くらいかな。いや、10回に一回かも。……わかんねえや」
俺は質問を変えた。
「昨日と今日は?」
「……あった。昨日の夜、酒買いに降りようとしたらよ……」
そこまで言ったところで、「ちょっとごめんなさーい」という声とともに40代くら
いの主婦と思しき年恰好の人が俺たちの立ち位置に割り込んできた。まるでエレベー
ターの前で立ち話をしている俺たちを邪魔だと言わんばかりに。
後ずさりして場所を空けた俺たちの目の前で主婦は下向き矢印を素早く押し、エレベ
ーター上部の階数表示ランプを見上げた。
7,6,5とランプが下がって来て4の表示が光ろうかという時、俺たちは顔を見合
わせて(このおばさんと一緒に降りるべきか)とわずかに思案した。
が、次の瞬間驚くことが起こった。
4の数字が光るタイミングが来てもエレベーターの扉は開く気配も見せず、表示ランプ
はそのまま4、3と下がっていったのだった。
あっけにとられた俺の前で主婦は「チッ」とあまり上品でない舌打ちをしたかと思うと、
踵を返してさっさと階段の方へ去って行ってしまった。
取り残された俺たちは、再び人気のなくなった空間にたたずんで顔を見合わせた。
「これか」
俺の言葉に友人は神妙に頷く。
ぞわっと背筋が寒くなった気がした。

198 エレベーター  ◆oJUBn2VTGE ウニ 2008/02/11(月) 23:49:05 ID:sx6grxVr0
けれど、冷静に考えるとやはりただの故障のような気がしてくる。口を開きかけた時、
友人が思惑外のことを言い始めた。
「あのおばさん、なんかニガテなんだよ。たぶん9階に住んでるんだけど、4階に友
 だちがいるみたいで時々すれ違ったりすんだよ。最初に会った時、なんていうか挨拶
 するタイミングみたいなのって、あるじゃん。それがなんかどっちも噛み合わなかっ
 たっていうのか、まあシカトみたいになっちゃって。それから、こないだ挨拶しなか
 ったのに、今回はするって変な感じがして、結局毎回シカトみたいになってて。いや、
 そういうのあるだろ。わかるよな」
確かにわかる。俺も近所づきあいとか、苦手なほうだ。
「こないだなんか、1階からエレベーター乗ったらよ。先にあのおばさんが乗ってて、
 オレの顔見るなりチッって舌打ちしたんだぜ。こっちには聞こえてないつもりだった
 かも知んないけど、感じ悪いわぁ」
友人は首を捻って悪態をついた。
エレベーターの表示は1階で止まったまま動かない。
この4階を素通りしたあと、誰かが箱を降りたのだろうか。乗るために箱を呼んでいた
のなら、1階から再び上ってきているはずだから。ということは、さっき俺たちの前
を素通りしていった箱には、誰かが乗っていたことになる。いったい誰が…… 今から
ダッシュで階段を降りてもきっと、立ち去ったあとだろう。オレは顔の部分が黒く塗り
つぶされた人物がこのマンションを徘徊しているイメージを頭に浮かべ、少し薄気味が
悪くなった。扉の透明なタイプのエレベーターなら、このもやもやも解消されたかも知
れないのに。
「どうする、階段にするか」
「いや、エレベーターにしよう」
俺はもう一度下向き矢印のボタンを押そうとして、ハタと手を止めた。

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